ダマスク・ローズとは?
ブルガリアの中央を東西に走るバルカン山脈とスレドナ・ゴラ山脈にはさまれた一帯はバラの谷と呼ばれている。バラの谷とは、この地方が香油用のバラの生育に適していることを意味するもので、バラ畑は広大な谷の各地に点在している。当のバラも観賞用のそれとは比較にならないくらい地味な花である(しかも開花すると同時に摘み取られてしまう)。とはいえ、5月から6月にかけてのバラの開花時期に、そのバラ畑の中に身を置くと、風を染めるバラの香気が甘く肌をくすぐるのを感じ、その花のけなげな愛らしさにも心を打たれるだろう。この谷の中心都市カザンラクという地名も、香油を精製するために用いる蒸留釜カザンの名に由来している。
カザンラクでの第1回バラ祭りは1903年と古く、1998年には30回目の記念大会を迎えた。これまでには資金不足と不況から、中止や規模の縮小を余儀なくされたこともあるという。日程はだいたい6月の第1日曜日から1週間。バラの生育具合に左右されるので、開催日は定まっていない。祭りは初日にバラ女王を選出した後、国際民族舞踊フェスティバルやシプカ僧院での聖歌隊合唱、フリークライミングなどが数日に分けて開催される。
バルカン山脈のシプカ峠へ行く途中にあるバラ博物館では、バラの香油製造過程の写真や蒸留釜などが展示されている。受付でバラの香油、酒、クリームなどのお土産や、バラ祭り開催時にはプログラム付のパンフレットが販売されている。庭には何種類ものバラが咲き誇り、隣接する工場では蒸留過程を見学できる(バラの開花時期のみ)。
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ダマスクローズ
ダマスクローズ
ダマスクローズ
ダマスクローズ
ダマスクローズ
「バラの谷の祭」(別名「ローズ・フェスティバル」)は、カザンラクとその周辺地域で毎年6月初めに開催されている。かつては村ごとの民俗的な収穫祭だったものが、近年にいたり全国から観光客を集める一大フェスティバルとして定着した。祭の見どころはバラ公園(カザンラク市の北西)で開かれる国際民族舞踊フェスティバル。ブルガリア近隣諸国の舞踊団がー堂に会して、民族舞踊と音楽を競い合うさまは−見の価値がある。バラ祭り最大の見せ場であるバラ摘みが行われるのは最終日。広大なバラ畑が会場となる。民族衣装を着てのバラ摘みは結構真剣な作業だ。最後はホテルカザンラク前の広場に集まり、閉会式が終わった後、人気の舞踊団と観光客が一緒に手をつないで踊りが始まる。肩を組んで記念写真を撮ったり、サインを求めたり、と和やかな雰囲気の中、約1週間のバラ祭りは幕を閉じるのである。 読売新聞のバラ祭り記事
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バラ祭 バラ祭 バラ祭 バラ祭 バラ祭
ブルガリアのダマスクローズオイルインコクム
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バラは16世紀後半にオスマン・トルコからブルガリアに輸入され、現在ではヨーロッパのバラ香油の産地としてその地位を確固たるものとしている。バラの谷一帯は香水用のバラ栽培が主要産業で、現在全世界の約8割近くのシェアを占めているという。バラの収穫は、早朝4時頃から始まり、昼前に終わるのが普通だ。バラは陽にさらされると香り成分が消えてしまうため、その作業は時間との勝負なのである。摘まれた花はその日のうちに工場に届けられ、釜で蒸され、蒸留されて香油となる。1000 gの香油を造るのに、3500 kgの花弁が必要とされる。
クラタ民俗博物館には、民族復興期(18〜19世紀)の建築様式の民家が保存されている。また、昔ながらの釜でバラの蒸留作業をしているため、強い香りが充満している。ここではバラ祭り開催時、来訪した人々に香水を惜しげもなく振りかけ歓迎する。
イスクラ歴史博物館の入口には、馬車を駆る兵士の姿が浮き彫りにされている。1階は考古学博物館としてカザンラク周辺から出土した考古遺物(土器や副葬品)を展示し、2階は現代アートギャラリーとしてブルガリア芸術家の作品を展示している。。
ブルガリアバラの谷・5月。朝5時

バラは遥か古代から聖なるものの象徴とされてきた。それは美の女神ヴィーナスに“美しさの象徴”として奉納されていることからもわかる。 6万年前、人類が最初に利用した花の一つとされているのがバラ。イラク北部の洞窟から発見されたネアンデルタール人の骨の近くから花粉が検出されている。これは死者の周りを花で飾り、埋葬した証拠と考えられている。分析の結果、数種類の花粉の中からバラの古代種と思われるものが見つかっている。色も赤、緋、橙、黄、白とにぎやかだったようだ。 ちなみにバラの故郷は中国やインドの常緑樹森である。

エジプトでは紀元前13世紀前半に初めて観賞用として栽培が開始された。特に女王クレオパトラは、バラをこよなく愛した人物として知られている。有名な話として、宮殿で宴会が開かれる際、招待客を迎えるためバラの花びらを30cmも積み上げ、自らもその香りを楽しんでいた。また愛する人のため船をバラで埋め尽くし、船の帆にバラの香りを染み込ませ相手に届けたとされる。

バラは古代ローマにおいて宗教的儀式や祭りで使われ、まさにローマ帝国の繁栄のシンボルであった。また初代皇帝アウグストゥス(紀元前63年〜紀元14年)は5月下旬から6月初旬に“ロザリア”と呼ばれるバラ祭りを誕生させた。この祭りは解放された奴隷の儀式でもあったことから、バラは“自由のシンボル”としても人々に親しまれるようになる。 その後、ローマでは一般市民もバラの栽培を始め、バラの庭園“ローザリウム”ができたほどだ。現在イギリスでも親しまれているバラ園の語源は、古代ローマからきている。

ブルガリアにバラが伝わったのは、16世紀後半のオスマン・トルコ帝国スルタン(王)ムラドゥ3世の命令によるものだった。当時からローズオイルの貴重性が高く評価されていたとの記述が残されている。その後1840年にフランス領事官が、ブルガリアのカザンラク(バラの谷)では良質のローズオイルが生産されていると報告してる。余談ではあるが、ブルガリアにおいて初めてローズオイルの会社が設立されたのは1820年で、とても長い歴史がある。

時代も地域も飛び越え、バラが人々に愛され続けていることがわかるエピソードばかりである。

ブルガリアバラの谷・5月、朝7時

ブルガリアバラの谷・5月、朝9時
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