NHKきょうの料理
NHKきょうの料理
Veliko Tarnovo
ブルガリア手作りヨーグルト店
ブルガリアバラの谷


料理からデザートまでブルガリアの食卓に欠かせない健康の源・ヨーグルト


ブルガリアの代名詞ともいえるヨーグルト。美味しいだけではなく、体にもよいとされるこの優れた食べ物と、本場の人々はどう付き合っているのか。在日17年の農学博士カタージェフさんに聞いた。

ブルガリア人の食卓に、一度もヨーグルトが並ばない日はないのではないだろうか。日本にもヨーグルトを好んで食べる人は多いが、ブルガリア人の比ではない。ブルガリア人のヨーグルト消費量は日本人の5倍とも6倍ともいわれる。
「ブルガリアでは、日本と同様、デザートとしてもヨーグルトを食べますが、それと同じくらい料理にも使います。パイの生地やグラタンのソースに加えたり、肉料理のソースに使ったりと使い方はいろいろですよ」
ブルガリア料理がどことなくまろやかなのは、ヨーグルトが使われていることが多いからだろう。
「ブルガリアでも、都会の人たちは、スーパーマーケットでヨーグルトを買うようになりましたが、地方の村に行けば、まだまだ自家製のヨーグルトを作っている家が少なくありません」
ブルガリアでは、ヨーグルトの原料として、牛乳だけではなくヒツジやヤギのミルクも使う。放牧している家畜のミルクから作る自家製ヨーグルトは、季節で味も変わるそうだ。青々とした草の生い茂る初夏のヨーグルトは、青くさい味がするのだとか。

長寿の秘訣はヨーグルト?

ヨーグルトは健康の源でもある。カタージェフさん曰く、「ブルガリア人はヨーグルトを食べる薬≠ニ考えています」。その証拠に、ブルガリアでは、入院患者には、1日3回必ず毎食250g程度のヨーグルトが出されるそうだ。まさに薬である。
カタージェフさんが東京・渋谷区で手がけるヨーグルトバーのメニューのひとつに、ヨーグルトにニンニクやキュウリなどを入れたサラダ「ドライ・タラトール」があるが、「これは、最高の健康料理。ヨーグルトもニンニクも、自然の薬ともいうべきものですからね」とのこと。
「ヨーグルトが体によい」ということは、今や世界に広く知られる事実だが、世界で初めてこの説を提唱したのは、イリア・メチニコフというロシア出身の生物学者だった。今からちょうど100年前、バリカン半島を訪れた彼はブルガリアのスモーリャン地方に長寿の人々が多いことと、そしてそこでヨーグルトが食べられていたことに注目した。年齢が上がるとともに増える腸内の悪玉菌に対抗して善玉菌を増やし、腸を若いまま保つのに、ヨーグルトの乳酸菌が大きな役割を果たしていると考えたのである。
「長寿にはいろいろな要因が関係してくるので一概にはいえませんが、ヨーグルトが何らかの形で健康を保つ役割を担っていたのは確かでしょうね。実際、このスモーリャン地方の村には100歳を越える人も多かったようです」とカタージェフさん。
最近では、ヨーグルトは腸に良い働きをするだけでなく、免疫を活性化させる力があることもわかってきた。日本でも毎日ヨーグルトを欠かさないカタージェフさんは、海外旅行で1週間もヨーグルトを食べない日が続くと、体に変調をきたすそう。
ヨーグルトの起源についてははっきり解明されていないが、紀元前、ブルガリアの地に住んだ古代トラキア人がすでに作っていたともいわれる。いずれにせよ、科学的に実証されるずっと以前の数千年も前からヨーグルトがブルガリア人の健康的な暮らしを支えてきたことは確か。
「ヨーグルトは、実に賢いプロダクトなんです」―ブルガリアの村々で、元気なおじいさんやおばあさんと出会った後では、カタージェフさんの言葉に、なおさら深く納得できる。



ブルガリアの民族独立を支えた世界一高貴で甘美な香り・バラ

ブルガリア中央部に広がる「バラの谷」。5月から6月にかけてこの一帯は、世界中の香水の原料となるダマスクローズの甘美な香りに包まれる。昔々、国をひとつ造り忘れたことに気づいた神様が、天国を分け与えた地、それがブルガリア―。甘い香りに抱かれれば、そんな伝説さえ信じたくなる。

ヨーグルトと並んで、ブルガリアの知名度を大いに高めているのが、バラである。香水などに使われるローズオイルは、世界の生産量のなんと80%がブルガリア産だ。特に高級ブランドの香水には、ブルガリアで採れる質の高いローズオイルが欠かせない。
なぜブルガリアでこれほど良質のローズオイルが採れるのか。その大きな要因は、バラの産地として名高い「バラの谷」の気候である。北はバルカン山脈によって寒気が遮られ、南はスレドナ・ゴラ山脈が地中海からの熱い風を防ぐこの谷は、1年を通して気候が温暖だ。そしてバラの収穫期にあたる5〜6月には適度な雨量が湿度を上げる。さらに、水はけのよい土壌ときれいな湧き水がある。ここには、最高級のローズオイルの原料となるダマスクローズの栽培に必要な要素がすべて揃っているのだ。
ダマスクローズは、トルコやエジプト、イランなどでも栽培されているが、世界最高級を誇るローズオイルの産地としてのブルガリアの知名度は、群を抜いている。

バラ摘みは早朝の短期決戦

カザンラクを中心とするバラの谷にはバラ工場が点在している。近郊のタルニチェネ村にあるエニオ・ボンチェフ社もそのひとつだ。1909年創業と、歴史を持つ同社の蒸留所は、1967年以降、博物館となっていたが、共産党政権崩壊後の1992年、創始者の直系の子孫を妻に持つリシチャロフ氏が、息子とともに再開。親子による経営は軌道に乗り、現在は、高品質の定評を得て日本を含む世界各国にローズオイルを輸出している。
創業者の名を冠した同社のモットーは「品質に妥協しない」「人を大切にする」。このモットーがきちんと貫かれていることは、製品の評判とともに従業員たちの表情が証明している。従業員のほとんどは再開当時から変わらない。「いい社長といい空気、いい香り。楽しいね」。恥ずかしがってカメラにも収まらない古株の男性従業員は、飛び切りの笑顔でそう語ってくれた。
バラの谷が最も華やぐのは、5月下旬から6月上旬にかけてだ。1年かけて丹念に手入れされたバラは、この頃いっせいに可憐な花を咲かせる。鑑賞用のバラと違い、小振りで色も鮮やかさには欠けるが、薄いピンク色をした小さなバラが放つ香りは、谷一帯を満たす力強さだ。
その香りが最も強くなるのが、朝もやのかかる早朝。朝霧が乾くと香りの成分も蒸発してしまうので、収穫は陽が昇る午前10時頃までの短期決戦となる。摘まれた花はすぐに工場に運ばれ、釜で蒸留され、冷却時に上に分離したオイルが採取されローズオイルとなる。香りの成分を損なわないよう、この時季は24時間態勢で作業が行われるそうだ。1kgのオイルを採るために、なんと3500kgのバラの花弁が必要というから、ローズオイルが「ブルガリアの金」と呼ばれるのも納得だろう。
「収穫の時季は大変だけど、バラの仕事は大好き。甘い香りの中でみんなで仕事するのが何より楽しい。ジョークをいい合いながらバラを摘むの」と、エニオ・ボンチェフ社の女性従業員アネタ・コチャノバさんはにっこり。

年一回の祭りに華やぐバラの谷

この時季、谷が華やぐ理由はそれだけではない。収穫を祝う「バラ祭り」が一帯で開催されるのである。もともとバラの谷の村々でそれぞれ開かれる小さな収穫祭だったものが、近年、国内外から観光客が集まるイベントとして知られるようになった。
日程は、バラの生育状況によるため毎年異なるが、6月第1日曜日から1週間が例年の目安。バラの谷最大の村カザンラクでは、バラ女王コンテストやフォークダンス・フェスティバルなど、さまざまな催しが行なわれる。畑の一部では、旅行者がバラ摘みを体験をすることも可能だ。クライマックスは最終日。民族衣装をまとった男女がバラを摘み、カザンラクの中心広場までパレードする。最後は、舞踊団に観光客がまじり、手をつないで踊る和気あいあいとした終幕となる。
バラは、古くから世界各地で神聖なもの、美の象徴とされてきた。エジプトの女王クレオパトラがバラをこよなく愛したことはよく知られているが、古代ローマではすべての儀式においてバラが使われたという。
ブルガリアにバラが伝わったのも、17世紀になって宗教儀式にローズウォーターを使うようになったオスマントルコがシリアから持ち込んだことによる。バラの花に水を加えて蒸し、そこで採れる蒸留水、ローズウォーターが「聖水」となったのだ。実は、現在、貴重な輸出品となっているローズオイルも、当時は聖水を作る過程でできる副産物でしかなかったそうだ。それが17世紀後半になると、社交界の華やかなヨーロッパから注目され、香水の原料となってブルガリアに大きな富をもたらすことになる。
豊かになれば教育が充実する。民族の独立心が芽生えるのは時間の問題だ。それがこの国の独立運動につながった。こう考えれば、現在のブルガリアがあるのは、この高貴な香りあってのものといっても間違いではないだろう。
ヨーロッパの社交界を魅了し、ブルガリアという国の発展に重要な役割を担ってきたバラ。その産地では、人々が真摯に、そして笑顔でバラと向き合っていた。

| HOME | LINK | TV・雑誌・書籍 | 会社概要 | MAIL US |
copyright(C)2006 YogurtSon trade all right's reserved.